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■久しぶりにアライヘルメット本社へ行った。JR大宮駅の東口を出たところから本社の看板が見える。
 まあ看板は見えるけれど、駅のド真ん前というわけではない。徒歩で10分ほどかかるのだが、駅から一直線に伸びるメインストリートを通っていくところで僕は、駅前通りなのに何か不思議と落ち着いた空気を感じていた。
 大宮駅は新幹線も停まる埼玉県の主要駅で、駅舎は巨大だ。都心から距離があるとはいえ、JR湘南新宿ラインを使えば渋谷から40分弱である。だが、街路へ降り立った途端に、東京とその周辺の慌ただしさとはかなり違った空気を感じる。賑わいはあるのだが落ち着きがあり、肌に優しい。
 僕の住む神奈川ベッドタウンの最寄り駅は、渋谷から20分程度と都心に近くはあるが、一級河川を西へ越えた途端に“東京感”は消え失せ地方色が漂う。それでも、駅の規模は大宮よりははるかに小さいにもかかわらず、駅前の慌ただしさ空気の硬さ刺々しさ落ち着きのなさは、洒落と品は落ちつつもやっぱし東京圏じゃん、である。それと比較し、大宮の駅前通りはずっと穏やかな空気で、体中の筋肉細胞やら脳随が、のびのびとほぐれ始めたかのようだった。
 そんなことを感じながら10分間歩く。アライ本社前の交差点に着いたが約束よりやや早い。では事前に一服するかと脇を見れば、立派な街路樹に囲まれた広い遊歩道が伸びている。氷川神社への参道でもあるのだが、ここは会社勤めの人々がひと息入れる場所であり、地元の方々がゆったりと散策を愉しむ道である。広い道の両脇には随所にベンチが設けられていて、のんびりと新聞を読む人もあちこちにいた。『路上喫煙禁止』などという無粋な看板などまったくなく、ベンチの脇には大きくて清潔な鋳造製の吸い殻入れが設けてあったが、都心の喫煙場所のようにそこへ駆け寄って蒸気機関車のようにせわしなく猛煙を吐くような人はおらず、ときおり誰かがゆらりと煙をくゆらすだけだ。

■上の写真がその遊歩道である。
 ここに一歩踏み入れた瞬間、駅からの10分間よりも格段に落ち着いた空気に満たされた。芳醇な酸素、キリリとしているがほどよく柔らかい透明感。新緑と青空のもとに広がるこの空間では、いつもの僕の生活の場より格段に時間がゆったりと流れていた。時計の回転速度基準が違うように思えた。
 こんなところに住んでいたら、四六時中追い立てられている人々、いわゆる都会人とは違った性格になるはずだ。こんなところで仕事をすれば、物作りをすれば、冷たくシステマチックなコンクリート空間とは異なった結果を生み出せるのではないか。
 そういえば、アライとは普段から電話連絡やメール交換はしているものの、本社には何年来てなかったっけ。3年? 5年以上かも……。
 そういえば、アライとおつきあいを初めて何年になるんだっけ? 数えてみれば40年以上か……。
 時間の感覚がおかしくなり始めた自分をたしなめ、アライ本社の門をくぐった。担当者氏と打ち合わせをしていたら、事務所の奥から『こっちへ来い』と社長が。7月には77歳になる現役ライダー新井理夫氏が笑顔で迎えてくれた。


■1902年に初代新井唯一郎氏が東京は京橋に新井帽子店を設立、1937年に二代目新井広武氏が現在の地に工場を設けた。それから長い月日が流れ、社名は変化し社屋もそれなりに変わった。が、二代目広武氏が1958年に完成させた近代乗車用ヘルメットの基本製法は今も継承されている。1975年ころから三代目の現社長・新井理夫(みちを)氏が実質的に会社を切り盛りするようになり、科学的な分析や設計&開発手法が取り入れられ積極的な海外進出も行い、今や確固たる世界ブランドである。そうではあるが、手作り主体の商品生産手法、感性に基づいたヘルメット作りの考え方は何も変わっちゃいない。いや変えちゃいないのだ。
『作りたいものだけ作る』と社長は言った。こうした会社が存在しうる、居心地のいい世界に僕もいる。その幸せを感じた五月晴れの大宮行だった。



安息の待つ入口より、
なにかが起こりそうな出口への扉を。
ならばバイクはよい道具だ。

Copyright (C) 2001 Tsukasa Tsuji.  
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