☆01年型YZF−R1に試乗する


 ヤマハのYZF−R1に試乗した。MC誌7月号のロードテストで扱うためである。走らせてみて「いいバイクになったな」と思った。10日間ほどつきあってみて、気持ちが通じ合えるヤツだなと思った。
 1997年11月、スペインで開催されたワールドワイドのプレス試乗会で初めてR1に接したとき、僕は感動よりも困惑を覚えた。ヤマハは難しい領域に踏み込んだものだと思った。乾燥で177kg、ガソリン満タンの装備重量でも198kgという車体の軽さ、1395mmという250ccなみの短いホイールベース、そこに150馬力のパワー。軽量コンパクトでハイパワーなら速いとは言え、その度合いが進むほどセンシティブなものになる。GPの500ccマシンが好例だが、公道を走るバイクとしては、まさにそれに類似した領域に踏み込んでしまったようであった。極度に軽量コンパクトであるがゆえ、8000rpmから炸裂する凶暴なパワーを路面に伝えることも、コーナーで前後タイヤへ的確にトラクションをかけることも、かなり難しい。直線のドッキュン加速陶酔なら誰にも可能だが、公道の峠道で「遊ぶ」のは困難。努力して乗り方をマスターすれば……という範疇ではない。そのポテンシャルを発揮させられる乗り方とシチュエイションが、あまりにも限られる。
 禁断の領域に踏み込んでしまった、それを一番知っていたのは、ヤマハ自身であろう。自ら承知の上で課した試練に対し、彼らは果敢に挑み続ける。98年、実際に市販されたR1は、パワーのつながりやサスの作動性などが試乗会時点とは微妙に違っていて、わりと普通に走らせられるようになっていた。そして、00年型での大変身。パワー特性、キャブレーション、サスの作動性、ライポジ、フレーム剛性……。すべてが本当の意味でコントロールしきれるものへ向けて改良された。さらに、01年型。公式には機能に関わる部分で00年型からの変更はないが、たとえば中速域のレスポンスがリニアになっていたり、コーナー侵入時に後輪へトラクションをかけやすくなっていたりなどは、僕の気のせいではないと確信する。

 最新型のR1は、真の公道で操る楽しさを身に付けている。「乗り手を選ぶマシン」などという言葉とともに、デビューと同時に神話化され、イメージが先行し、異様なほどカリスマ性を抱えてしまった感じもあるが、今は芯からピュアなスポーツ性を備えたものへと成長した。
 許容度は増したが、どんな路面でも自由自在に走れる、とはやはり言えない。乗り手にそれなりのテクニックが必要なのも確かだ。「ツイスティーロード最速」とは言うものの、一般的な峠道での速さで計るなら、R1が最速とは限らない。通常荷重域で鋭い回頭性を見せるYZF−R6、あるいは高いフレキシビリティのFZS1000やFZS600などのほうが速い場合は、いくらでもあるだろう。圧倒的な加速力のスズキGSX−R1000という選択もある。だが、真剣に操る乗り手の指一本の動きにも即座に反応する様、打てば響くように応えるバイクとのやりとり、その痛快さは比類がない。

●入念なライポジ設定が生む美学


ライディングポジションは、各ライダーの好みなど以前に、バイクの素性を決定的に左右するものであることを、R1は見事に語っている。たとえばハンドルバーは、無意識のうちに逆操舵を与えすぎない適切な入力ポイントになっていなければ高度なマシンコントロールができない。そこで、ハンドルバーはフォークパイプに突き刺さるような形で取り付けられ、ステアリングヘッドとのオフセットを少なくしている。この形状を実現するため、フォーククランプに対し、溶接が困難な肉薄のアルミ製ハンドルパイプは航空機用接着剤で固定されている。
ステップまわりはバイクコントロールの要。その部分の車体幅を徹底して狭めるため、ギヤのシフトロッドがフレームを貫通するといった手間のかかる構造すら採用する。ヒールガードの微妙な曲面は、カカトでのマシンホールドを最適化していった結果として生まれた。ステップバーの折れ曲がり角度は、ハードな切り返しでも不用意に動かないものに設定されている。シフトペダルはダイレクト感を重視して通常のペダルゴムは装着されていないが、蹴り上げ側には薄くゴムが焼き付けられている。
こうして本物のコントロール性がとことん追求されたものには、美学がある。