☆カワサキとスズキが4stモトクロッサーを共同開発

 川崎重工業とスズキの両社より2月18日付けで、新しい業務提携内容がリリースされた。 要は、4ストローク250ccモトクロッサーの共同開発で、製造はカワサキ。今シーズンより国内レース、従来の125ccクラスに試作マシンが投入される模様である。

 僕は昨年11月、スズキの市販モトクロッサーRMシリーズに関する記事を書く機会があった。以前から業務提携によってモトクロッサー製造はカワサキの担当となる話を聞いていたので、その記事執筆のとき、スズキの某氏にたずねた。
「ヤマハやホンダを筆頭に、マシンの4ストローク化が進んでいる。でも、これを機に新しいマシンはカワサキが開発して、スズキのRMシリーズはなくなってしまう、なんてことはあるんですかね?」
 するとその某氏曰く。
「いや、あの話はご破算になったようです。ウチの技術者たちも、4ストロークエンジンに関してはかなりの自信と意地を持っていますので、そう簡単にモトクロッサー開発を放棄することはないはずですよ」
 僕は「それは良かった」と答えたのだった。
 しかし現実は違った。業務提携発表当初の予定どおりとなった。スズキの某氏のコメントから察すると、当初の発表以後も、両社の社内で多少なりとも紆余曲折があったのだろう。いや、開発陣など技術現場では抵抗していたが、経営陣は設定した道を真っ直ぐ歩いていた、それだけのことかもしれない。
 スズキといえばモトクロス、モトクロスといえばスズキという時代があった。というか、日本のモトクロスにおいて、スズキは先駆者なのである。黄色いワースクカラーが世界のモトクロスコースで乱舞した。「イエロー・マジック」の伝説を築いた。
 しかし、時代は移り変わるもの。開発は共同(その意味の詳細は未確認)とはいうものの、スズキの技術者諸氏はさぞや無念であろう。
 以下に公式リリースを掲載するとともに、僕が執筆したRMに関する記事の抜粋を末尾に添える。
*************以下カワサキとスズキのリリース***********

2003年2月18日
川崎重工業株式会社
スズキ株式会社

二輪車の共同開発について

 川崎重工業株式会社とスズキ株式会社は、共同開発した二輪車を2003年9月よ り世界各国で販売する。
 両社は2001年8月に業務提携を発表し、2002年2月から国内及び海外市場で 二輪車とATV(四輪バギー車)の相互OEM供給を進めてきた。
 初の共同開発車となる二輪車は、250cc 4サイクルエンジンを搭載したモトクロスレース車で、製造は川崎重工が担当し、販売はそれぞれが自社のチャンネルを通して個別のブランドで行なう。尚、両社は販売に先立つ2003年4月から この共同開発車を国内レースに投入し、開発を推進する。
 両社は従来の相互OEM供給から一歩踏み込んで、互いの経営資源を活用した共同開発により、短い開発期間で製品の市場投入を可能にした。
 両社は今後も、更なる相互OEM供給や商品の共同開発、部品の共通化などを積極的に推進しながら、提携の実効を上げていく。

*************以下RMに関する記事***********

スズキは1970年に日本メーカーで初めて、
世界選手権モトクロスでチャンピオンを獲得した。
そのときの250ccワークス・モトクロッサーRH70は、
従来の銀色から黄色へとカラーリングが変更されていたのだ。
イエロー・マジックの伝説は、ここから始まった。
そのノウハウをフルに注いだ市販モトクロッサーRM250もまた、
その伝説の一翼を担ってきたのである。

■本文
 RMとは、スズキの市販モトクロッサーに与えられる名称だが、そのベースとなっているのがワークス・モトクロッサーだ。工場レーサーなどとも呼ばれるそれは、メーカーの持てる技術すべてを注ぎ込み、プライドをかけてレースを闘うマシンである。そして、スズキのワークス・モトクロッサーの歴史は、そのまま日本のモトクロスの歴史と言えるほど、誇り高いものであった。
 1965年、まだ日本ではオンロード車を改造したマシンでモトクロス競技をやっていた時代に、スズキは他車に先駆け、完全にオフロード走行での機能に的を絞ったレーシングマシンを開発する。それがRH65だった。車名のRはレーシング・マシンを、Hは排気量が250ccクラスであることを表している。数字は投入された年度の下二桁だ。
 このRH65を引っさげて、スズキは日本のメーカーとして初めて、世界選手権モトクロスに挑戦したのである。ライダーは久保和夫と鈴木誠一の日本人ふたりであった。しかし、その結果は惨敗。ライダーが世界レベルのテクニックを身に付けていなかったこともあるが、それ以上に、世界の強豪に比してマシンの性能差が大きかったのである。
 2ストローク単気筒エンジンを搭載したRH65は、当時の日本製モトクロスマシンとしては非常にスリムで軽量だった。とはいえ、その車重は110kg以上あり、パワーは24馬力程度でしかない。グリーブス、CZ、ハスクバーナ、ブルタコといった当時の世界選手権で活躍していたマシンと比較すれば、エンジン性能でも車重でもサスペンション性能でも、明らかに劣っていたのである。
 しかし、そこからのスズキの進歩は素晴らしかった。年ごとに大改良を施した新型マシンを投入。世界の一流選手も獲得し、その意見を反映させてさらに改良のピッチを上げる。そして1970年、ベルギー人のジョエル・ロベール選手のライディングにより、250ccクラスの世界チャンピオンを獲得する。勢いに乗るロベールは、この後1972年まで3連覇してしまうのであった。
 スズキの勢いは、他のクラスにも波及する。1971年、500ccクラスにRN71を投入。やはりベルギー人のロジャー・デ・コスタ選手がチャンピオンを獲得し、翌年もRN72で連覇を達成したのである。
 以後は世界選手権モトクロスの各クラスでスズキのマシンが大活躍していくが、中でも特筆すべきは125ccクラスの10連覇であろう。ワークス・モトクロッサーRAシリーズは、1975年から同じくベルギー人のガストン・ライエによる3連覇を皮切りに、1984年までチャンピオンを獲得し続けるのである。
 こうした活躍により、オフロード界でのスズキの名声は揺るぎないものになった。最近でも、2001年と2002年の世界選手権モトクロス250ccクラスで、フランス人のミカエル・ピションがチャンピオンをとなっている。しかし、基点はやはりRH70であろう。またマシンのカラーリングでも、タンクの塗装が従来のシルバーから黄色に変更されたのは、このRH70だった。モトクロスでのスズキのワークス・カラーがここから黄色になり、やがてはその驚異的な強さから「イエロー・マジック」という言葉さえ生まれるのである。
 ワークス活動と並行し、市販モトクロッサーもデリバリーされていく。当初は一般市販車をベースに改造した程度のTMシリーズだったが、1975年からはもっと本格的な仕様のモデルが登場する。ワークス・モトクロッサーのノウハウをフルに注いだそのマシンこそが、RMシリーズなのだ。この年、250ccモデルだけは、その高性能ぶりを誇示するため、ワーク名称を冠してRH250と表記したが、翌年からは100ccや125ccと同じくRM250としている。
 そのRMシリーズは、多くのプライベート・ライダーたちを育成しただけではない。市販モトクロッサーだけが出場を許されるアメリカのAMAレースで、黄色いマシンが乱舞したのだ。AMAモトクロス、及びAMAスーパークロスそれぞれの、125ccと250ccの各クラスでは、2002年までに合計22もの年間タイトルを獲得しているのだ。
 そんなRMシリーズの旗艦モデルが、RM250である。また、60ccから250ccまで7機種のRMシリーズがカタログに並んでいる。

<以上>