☆原田哲也選手が引退

 ホンダより、GPライダー原田哲也選手の引退が発表された。
 先のオーストラリアGPに関するホンダの速報において原田選手のコメントがなく、おかしいなとは思っていた。引退なのか、それとも移籍か。僕は後者のほうに期待をかけていた。

 類い希なる才能を持ちながら、その実力のわりには、世界チャンピオンが一度だけというのは、僕にとっては納得がいかなかった。マシンとの巡り合わせにおいて、そして時の巡り合わせにおいて、まったくツイてない男である。本当は、申し訳ないがノリックなどとは次元の違うライダーなのに……。今はちょうど巨人の松井のメジャー行きが騒がれているが、はるか昔に原田は、日本のメーカーにすがらずアプリリアのエースになっていた人物なのだ。そして、少なくとももう一度は、世界チャンピオンを獲得できたはずの男なのだ。加藤大治郎は非常に優れたライダーだが、彼がスポーツ功労賞を受賞するなら、なぜ原田は……。繰り返すが、原田は1993年の250ccクラス世界チャンピオンである。
 原田が世界チャンピオンを獲得したとき、そのマシンに僕は試乗した。1週間前に試乗したホンダのワークス250は100馬力を達成していて、それと比較すると原田のマシンはひどく遅く、パワーバンドも狭かった。大人と子供くらいの、腕力の差を感じた。エンジン性能的にはそれだけ劣勢なのに、直線で抜かれてもコーナーで抜き返すことの繰り返しを1シーズン通して行い、チャンピオンを獲得した原田のすごさを感じた。そして原田のマシンは、キラリと光る操縦性を備えていた。素人の僕が乗っても、ヤマハのテストコースを2周もすると、理屈抜きで僕の体の一部になり得た。市販レーサーTZを極限まで改造したそれに乗って、原田のマシン作りのセンスが極めて素晴らしいものであることを知った。
「原田選手、ご苦労様」とは、言いたくない。欧米流に「気が変わったのでまた走ります」と来月あたりに言ってほしい。スズキでも、ドゥカティでも、行くところはあるのではなかろうか。今年、来期に向けたRC211V争奪合戦に原田が敗れたのは事実だが、彼はレースに対するモチベーションをなくしてはいない。それは彼のオフィシャルページのほうのコメントに表れている。http://www.tetsuya31.com/
 10位あたりをうろうろするのは、彼のプライドが許さないのは分かる。しかし、自らマシン開発に加わり新たに自分の世界を築く、そんな可能性は皆無なのだろうか。最後の選手生命をかけて、もう一度トップ争いを演じてほしい。そう思うのは、僕だけだろうか。

****************以下ホンダのリリース**************

2002年11月3日

MotoGPライダー原田哲也が、今シーズンを最後に引退を発表

 11月2日(土)、HondaのサテライトチームPramac Honda Racing Team契約ライダーで、2002年ロードレース世界選手権シリーズ(MotoGP世界選手権)においてMotoGPクラスに参戦している原田哲也選手(#31)が、今シーズン最終戦のスペイン・バレンシアグランプリの会場において記者会見を行い、2002年を最後に現役から引退することを発表した。

 原田選手は1993年にロードレース世界選手権にフル参戦を果たし、日本人史上二人目となる世界チャンピオン(250ccクラス)を獲得。その後は世界の舞台で活躍する日本人選手の牽引役として活躍。
今シーズンはPramac Honda Racing Teamより、Honda NSR500を駆り、MotoGPクラスに参戦。第15戦オーストラリアグランプリ終了時点でシリーズランキング17位につけている。

※サテライトチームとは、マシンをHRC(株式会社ホンダ・レーシング)からレンタルし、オーナーが運営しているチームのこと。ライダーはチームと契約している。

<原田哲也選手のコメント>
 ライダーとして常に勝ち続けることを考え参戦してきましたが、今年は残念ながらそれが出来なく、引退することを決めました。ただ、今はスッキリした気持ちです。明日はまだレースがあり、自分にとって最後のレースとなるので頑張りたいと思います。これから先のことはまだ何も考えていませんが、一年ぐらいは今まで苦労をかけた妻といっしょにゆっくりしたいと思っています。

●原田 哲也(Harada Tetsuya)
1970年6月14日 千葉県生まれ 32歳
身長 :162cm
体重 :52kg
血液型 :B型

<プロフィール>
1987年に16歳でロードレースにデビュー、1992年全日本ロードレース選手権250ccクラスチャンピオンを獲得。93年にロードレース世界選手権250ccクラスにフル参戦開始。その開幕戦で初優勝を成し遂げ、最終的にシーズン4勝を挙げて日本人史上二人目(16年ぶり)となる世界チャンピオンに輝く。その後、250ccクラスのランキング2位2回、3位1回を記録し、トップライダーの地位を確立。世界の舞台で活躍する日本人選手の牽引役として活躍している。
2002年よりPramac Honda Racing TeamよりHonda NSR500を駆り参戦。第15戦オーストラリアGP終了時点でランキング17位につけている。

<主な戦績>
1987年 ロードレースデビュー
1988年 ジュニア昇格
1989年 国際A級昇格 MFJ全日本ロードレース選手権 250ccクラス参戦 ランキング4位
1990年 MFJ全日本ロードレース選手権 250ccクラス参戦 ランキング2位
1991年 MFJ全日本ロードレース選手権 250ccクラス参戦 ランキング2位
1992年 MFJ全日本ロードレース選手権 250ccクラス参戦 チャンピオン
1993年 FIM ロードレース世界選手権にフル参戦 250ccクラス・チャンピオン
1994年 FIM ロードレース世界選手権 250ccクラス参戦 ランキング7位
1995年 FIM ロードレース世界選手権 250ccクラス参戦 ランキング2位
1996年 FIM ロードレース世界選手権 250ccクラス参戦 ランキング8位
1997年 FIM ロードレース世界選手権 250ccクラス参戦 ランキング3位
1998年 FIM ロードレース世界選手権 250ccクラス参戦 ランキング3位
1999年 FIM ロードレース世界選手権 500ccクラス参戦 ランキング10位
2000年 FIM ロードレース世界選手権 500ccクラス参戦 ランキング16位
2001年 FIM ロードレース世界選手権 250ccクラス参戦 ランキング2位
2002年 FIM ロードレース世界選手権 MotoGPクラス参戦 第15戦終了時ランキング17位

<以上>